創作をやる気で続けようとすると、だいたい折れる
どうも、久我レイジです。
創作を続けていると、画面を開くだけで精一杯の日があります。
僕も一度、編集ソフトを立ち上げたまま、最初の一歩がどうしても出なかった夜がありました。マウスに触れる指が重くて、ただ画面をぼんやり見ていた時間を今でも覚えています。
それでも気づけば、五年近く制作に向き合ってきました。
スタエフでラジオ番組を作ったり、10年もの間ブログ記事を書いたり、今はメタバースドラマ制作をしたり。振り返ると、続けたいという気持ちだけでは説明できない、もっと小さな理由があったように思います。
それは、才能ではなく「辞めない仕組み」を作ってきたことでした。
いろんな人と活動してきて感じるのは、続く人はやる気だけで動いていないということです。
逆に途中で消えてしまう人は、やる気がある時だけ一気に走ることが多い。
熱量がある時に走る力も大事です。でも、やる気は気まぐれです。昨日あんなに燃えていたのに、今日は何もできない。そんなことは普通にあります。
だから、やる気だけを頼りにすると危ない。
続けられない人は、根性がないわけではありません。多くの場合、続けるための設計が雑なだけです。
僕も昔は、やる気がないと一歩も進めないタイプでした。気分が乗った日は夜中まで作業する。でも、疲れた日は完全に止まる。その繰り返しでした。
そのやり方では長く続かないと気づいてから、僕は作業を小さくしました。
夜に五分だけ編集して終わる日があります。脚本を一行だけ直して閉じる日もあります。メモに今日のアイデアを一つ残して寝るだけの日もありました。
それでもいいことにしました。
大事なのは、毎日すごい成果を出すことではなく、創作との接点を切らさないことだと思うからです。
やる気は波で、淡々は地面。
波は高い時は気持ちいい。でも、低くなると何もできなくなります。地面の上なら、歩幅が小さくても前に進める。
創作を続けるには、この地面を作る必要があります。
小さすぎて意味がないように見える一歩でも、あとで振り返ると「あの日の一行が次につながっていた」と思える瞬間があります。創作は、そういう見えない積み重ねで前に進んでいくものなんだと思います。
ただし、続けるためには休むことも必要です。
僕も頭痛や吐き気が続いた時がありました。目の焦点が合わず、画面の文字がぼやけて見える日もありました。その日は五分も作業ができませんでした。
その頃は「自分のやる気が弱い」と思っていました。
でも違いました。
ただ、体が限界を迎えていただけでした。
休むことはサボりではありません。続けるためのメンテナンスです。
ここを間違えると、創作そのものが嫌いになってしまいます。好きで始めたはずなのに、いつの間にか義務になり、数字に追われ、他人と比べて、自分の作品を見るのも苦しくなる。
それは本当にもったいない。
休むことを覚えてから、僕はようやく「好き」を守れるようになりました。
だから僕は、心を削らないために小さなルールを作っています。
作業時間を短く区切る。無理な日は、明日やることをメモに残すだけにする。「今日はここまで進んだ」と自分に見せてあげる。SNSを見る時間も決めておく。
疲れている日は、作業量ではなく回復を優先する。
創作は、走り切る競技ではありません。
歩き続ける活動です。
その日の体調に合わせて、歩幅を変えればいい。立ち止まる日があっても、戻ってこられる場所があれば、それはまだ続いています。
では、なぜ僕はやめなかったのか。
理由はとても単純です。
創ることが、ただ好きだったからです。
編集した音がピタッとハマる瞬間があります。脚本の一行が思い通りにつながった時、呼吸が少しだけ軽くなります。自分の頭の中にしかなかった場面が、画面の中で形になっていく。
その感覚が、どうしても嫌いになれませんでした。
好きだから、歩幅が小さくても進めた。
好きだから、止まってもまた戻ってこられた。
結局のところ、継続は強さより「好き」が支えているのだと思います。
ただし、その好きは放っておくと簡単に削れていきます。だからこそ、根性ではなく仕組みが必要です。
五分でいい。
一行でいい。
今日は、創作を嫌いにならない一歩だけ進めばいい。
その小さな一歩が、いつか未来の景色を変えていくのだと思います。
僕はこの文章を書き終えて、またひとつ前に進めた気がしています。



気が向かない時は僕は一旦寝ますね
15分だけ
本当に寝てる時もあるし、15分寝てるふりして頭整理してる時間につかいます。
本当、ワイだけやなかったんだな。特にここ
最初の一歩がどうしても出なかった夜がありました。
この一歩がすべての未来に影響を与えるから、すごく新潮になりすぎて、何もできぬ……