いいねの数で、心臓を測るな
SNSの数字に削られる創作者へ
どうも、久我レイジです。
SNSで発信を続けていると、数字が気になる日があります。
どれだけ良い発信ができたと思っても、反応が少ないと不安になる。
「あれ、今日は伸びないな」
そんな小さな沈黙が、じわっと心に広がることがあります。
特に危ないのは、創作に没頭している時ほど数字に敏感になる瞬間です。
深夜の編集。
部屋を照らすのはモニターの光だけ。隣のコーヒーは冷め、タイムラインでは誰かの作品が伸びている。
そんな夜は、数字がまるで自分の価値を表しているように見えてしまうことがあります。
本当は頭ではわかっているんです。
再生数と人間の価値は別物だし、アルゴリズムやタイミングに左右されることも知っている。
それでも、心は理屈通りに動いてくれません。
むしろ創作に本気な人ほど、数字に傷つくのかもしれません。
時間も情熱も注いだからこそ、届かなかった時の静けさが刺さる。
僕は、この感覚こそが燃え尽きの最初の兆候なんじゃないかと思っています。
楽しいはずの制作が少し重くなる。
作りたい気持ちより、「評価されたい気持ち」が前に出る。
燃え尽きは突然やってくるものではなく、小さな違和感の積み重ねで静かに始まるのかもしれません。
数字が先に走り出すと、作品も少しずつ歪みます。
「伸びそうなもの」を優先したり、「バズる構成」に寄せすぎたり。
気づけば、自分が作りたいものより、評価されそうなものを選ぶようになってしまう。
実際、それで伸びることもあります。
でも、不思議と満たされない。
数字は増えたのに、胸の奥は静かなまま。
たぶん創作って、数字だけでは埋まらない場所があるんだと思います。
僕がメタバースドラマを作り始めた頃は、本当に誰にも届きませんでした。
反応ゼロ。
集まってくれる人もほとんどいない。
それでも、あの頃に作ったシーンや言葉が、今の作品の基準になっています。
届かなかった時間が、後の芯になっていた。
これはSNSでは見えにくいけれど、確かに存在するものだと思います。
SNSに出るのは、完成した一枚だけです。
でもその裏には、使わなかったカットも、何度も直した編集も、公開直前で消した言葉もある。
誰にも見せなかったラフ。
書いては消した台詞。
違和感が残って、夜中にもう一度だけ直した数秒。
そういうものは、数字にはほとんど現れません。
でも、創作を支えているのは、たぶんそういう見えない部分です。
正直、数字があとからついてくる保証なんてありません。
どれだけ真剣に作っても届かないことはあるし、頑張った分だけ報われるとも限らない。
それでも、数字だけを追って作ったものより、自分の奥から出てきたものの方が、長く自分を支えてくれる気がしています。
だから、もし燃え尽きそうになったら、いったん数字を閉じる。
そして、作品と自分の距離が近かった場所へ戻る。
僕はこれからも数字を見て落ち込むと思います。
きっと完全に気にしなくなる日は来ません。
でも最後は、やっぱり物語の方へ戻っていく。
その繰り返しの先に、自分だけの創作が残っていくのだと思っています。



久我さんこんにちは!🌻
これはなかなか面白いぞ!
って気合い入って、蓋開けてみたら
案外注目浴びないとかありますよねーw
やり方が何か悪かったのかなーとか
考えちゃいます😅
けど、自分はそれが面白かったから、
自分の為の記事だったのかもしれません(笑)