どうも、久我レイジです。
差別化って、よく言われます。
でも僕の場合の差別化は、最初から「人と違うことをしよう」と思って始めたわけではありません。
メタバース空間とアバターを使って、現実に近い雰囲気の恋愛ドラマを作る。
それが、僕にとっての差別化でした。
案の定、ほとんど誰もやっていませんでした。
ニッチなジャンルで、制作工数はかなり重く、キャストも簡単には集まらない。さらにマネタイズも難しいとなると、普通に考えればデメリットだらけです。
ただ、だからこそ誰も本気で取り組まなかったのかもしれません。
検索しても前例は少なく、ノウハウもほとんどない。説明するだけでも時間がかかりますし、「それってどういうものなの?」というところから始めないといけない。
けれど裏を返せば、そこにはまだ席が空いているということでもあります。
面倒くさい場所には、人が集まりにくいです。
でも、面倒くさい場所だからこそ、簡単には真似されない。
僕はそこに、メタバースドラマの可能性を感じました。
時代を掴むタイミングって、たぶんあるんですよね。
ブログ全盛期に発信を続けて、多くの人に認知され、その後インフルエンサーになっていった人たちがいました。
YouTubeもそうです。
今では当たり前のように動画を出す時代ですが、昔は「動画投稿している人」というだけで、どこか珍しい存在だったはずです。
某ヒ◯キンさんも、動画投稿男子と呼ばれていた時代から始めて、そこから一気に時代の中心に出ていきました。
そして今は、AI全盛時代です。
乗り遅れるわけにはいかない、AIを使わなきゃいけない、AIで発信しなきゃいけない。そう考えて、多くの人が一斉に同じ方向へ走っています。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。
僕もAIは使っていますし、これからの創作にとって必要な道具だと思っています。
ただ、人と同じ波に乗るだけでは、たぶん埋もれます。
大きな波が来た時ほど、みんなが似たようなことを始めます。同じツールを使い、同じような発信をして、同じような言葉で「これからはAIだ」と言う。
その中で目立つのは、かなり難しい。
だから僕は、少しズラした場所に立ちたいと思いました。
僕はAIを使います。
ただ、AIだけに寄せすぎるのではなく、メタバース空間やアバター、人間の声や演技、人と人との関係性を軸にしたまま、新しい表現としてAIを混ぜていきたいと思っています。
仮想空間の中で、人がアバターとして演じる。
しかも、それを現実に近い雰囲気の恋愛ドラマとして描く。
これは効率だけで考えたら、かなり面倒くさいです。
AIだけで映像を作った方が早い部分もあるかもしれませんし、画像生成や動画生成を使えば、見た目の派手さを出すこともできます。
でも、僕がやりたいのは、ただ綺麗な映像を作ることではありません。
メタバース空間の中で人が集まり、アバターとして演じ、そこに感情が生まれていく。
その不思議な熱量を、作品として残したい。
だから、メタバースドラマという形にこだわっています。
ここは、たぶん僕の中でかなり大きいです。
AIで作られた映像は、これからもっと綺麗になります。
今よりもずっと自然になるでしょうし、数年後には「これ本当にAIなの?」と思うような映像が、当たり前に出てくると思います。
でも、だからこそ逆に、人がその場に集まって、アバターを通して演じることの意味も出てくる気がしているんです。
完璧ではない動きや、少しズレる間、思った通りにいかない撮影、その場にいる人たちの呼吸。
そういうものは、効率から見るとかなり扱いづらいものです。
でも、ドラマには、その扱いづらさが必要な時があります。
人間の感情って、綺麗に整いすぎると、逆に嘘っぽく見えることがあるんですよね。
だから僕は、AI時代だからこそ、人が演じるアバタードラマに賭けたいと思っています。
AIを否定したいわけではありません。
むしろ、使えるところは使いたい。
でも、作品の中心までAIに渡してしまうと、僕がメタバースで積み上げてきたものが薄れてしまう気がするんです。
そこは、かなり慎重に見ています。
次回作では、メタバースドラマを軸にしながら、必要な場面には生成AIも取り入れるつもりです。
ただし、全部をAIに置き換えるつもりはありません。
AI動画を使うなら、物語の中で意味がある場所に使いたい。
たとえば、記録映像や過去の断片、登場人物の記憶、心の揺れが現実の映像とは少し違って見える瞬間。
そういう、アバター演技だけでは表現しきれない部分に、生成AIの映像を差し込む。
メタバース空間で進むドラマの中に、少しだけ異様に生々しい映像が混ざる。
その違和感が、物語の謎や感情につながっていく。
これは、次回作で試してみたい大きな挑戦です。
AI全盛時代だからこそ、全部AIに寄せるのではなく、人が演じるアバタードラマを軸にする。
その上で、AIを道具として使う。
主役はあくまで作品であり、人の感情であり、物語です。
AIはそのための表現手段のひとつであって、作品そのものを乗っ取るものではない。
僕は、今のところそう考えています。
もちろん、綺麗ごとだけで続けられる世界ではありません。
メタバースドラマは、作るだけでも大変です。
キャストを集める必要がありますし、撮影場所も必要です。演出も段取りも必要で、アバターだからこその制約もあれば、メタバース空間だからこその難しさもあります。
それに、作ったからといって簡単に見てもらえるわけでもありません。
これは、正直かなり厳しい現実です。
どれだけ熱量を込めても、届かなければ存在しないのと近くなってしまう。
だから、届け方もちゃんと考えないといけない。
YouTubeには作品の入口を置き、clusterでは劇場で観る体験を作る。noteでは制作思想や裏側を検索に残る形で積み上げて、Substackではより近い距離感で制作途中の温度を届ける。Xでは、その瞬間の動きや空気を出していく。
ただ、同じ告知を全部の場所に貼るだけでは弱いと思っています。
作品を見てもらう場所、作品について語る場所、制作途中の温度を届ける場所、そして実際に体験してもらう場所。
それぞれの役割を分けていかないと、たぶん埋もれる。
メタバースドラマというニッチなジャンルに賭けるなら、なおさらです。
作るだけでも、発信するだけでも、熱量だけでも足りないのだと思います。
でも、数字だけを追いかけても、たぶん僕がやっている意味がなくなる。
ここが難しいところです。
信じるだけでは届かない。
でも、届かせることだけを考えすぎると、自分が何を作りたかったのか分からなくなる。
その間で、まだうまく言葉にしきれない場所を探している感覚があります。
作品をどう届け、どう興味を持ってもらい、どう続けられる形にするのか。
そこまで含めて考えないと、作品は残っていかない。
だから僕は、メタバースドラマという場所に立ちながら、次回作ではさらに新しい挑戦を入れていきたいと思っています。
今までやってきたことを捨てるのではなく、そこに新しい血を入れて、もう一段進化させる。
時代の波に乗ることも大事です。
でも、その波のど真ん中でみんなと同じことをするのか。
それとも、少しズラした場所で、自分だけの波を作りにいくのか。
僕は後者を選びました。
正直、簡単ではないです。
たぶん、これからも何度も壁にぶつかると思います。
メタバースドラマなんて、まだ多くの人にとっては聞き慣れない言葉です。
説明しないと伝わりにくいし、実際に体験してもらわないと分からない部分も多い。数字だけを見れば、もっと効率のいいジャンルはいくらでもあると思います。
でも、だからこそ、まだ可能性があるとも思っています。
誰もやっていない場所には、不安があります。
けれど、誰もやっていない場所にしか、まだ名前のついていない未来は残っていない。
僕はそこに、もう一度賭けてみたいと思っています。



