そんなの流行るの?と言われたものだけが、世界を変えてきた
どうも、久我レイジです。
Substackを始めてみて、最初に少しだけ変な感覚がありました。
文章を書いているだけなのに、いつもの投稿とはどこか違うんですよね。Xに流す文章とも、noteに置く文章とも、手触りが少し違う。
まだ始めたばかりなので、偉そうなことは何も言えません。ただ、触ってすぐに感じたのは、ここは「タイムラインに投げる場所」というより、誰かの受信箱に届いていく場所なんだな、ということでした。
この違いは、思っていたより大きいかもしれません。
Xに投稿するときは、どうしても流れの中に言葉を置く感覚があります。自分の投稿も、誰かの投稿も、ニュースも、感情の強い言葉も、宣伝も、だいたい同じ速度で流れていく。
それがXの面白さでもあります。
一瞬で反応が返ってくることもあるし、自分では想像していなかった人に届くこともある。だから僕は、Xをやめたいわけではありません。今でも日々の発信や交流の場所として、大事に使っています。
ただ最近は、その速さに少し疲れることも増えました。
何か新しいものが出るたびに、すぐに強い言葉が並びます。すごい、終わった、乗り遅れるな。そういう言い方は目を引くし、実際に便利な情報もあります。
でも、全部がその温度で流れてくると、だんだん自分の考える速度と合わなくなってくるんですよね。
本当に知りたいのは、たぶんもう少し奥の部分です。
その技術を、自分の作品や仕事にどう落とし込むのか。どこまで頼れて、どこから先は自分で考えないといけないのか。そのあたりまで考えたいのに、タイムラインでは次の話題がすぐに流れてくる。
気づいたら、考える前に反応している。
そういう感じが、少しありました。
一方でnoteは、僕にとってかなり大事な場所です。
記事を積み上げられるし、検索にも残りやすい。自分の考えを整理して、あとから読める形にしておける。だから僕にとってnoteは、これからも本拠地のような場所です。
ただ、noteに書くときは、どこかで「記事として整える」意識が出ます。
見出しをつけて、流れを作って、読者にわかりやすく届ける。それは大事なことですし、僕もそのために書いています。
でも、その手前にあるものもあるんですよね。
まだ記事にするほどまとまっていない考えや、作品づくりの途中で引っかかったこと。Xに流すには少し長いけれど、noteにするにはまだ形になっていない話。
そういうものを、どこに置けばいいのか。
Substackを触っていて、ここはその中間にある場所なのかもしれないと思いました。
タイムラインに流れて消えていくわけでもなく、検索記事としてきれいにまとめきる必要もない。もう少し近い距離で、受け取ってくれる人に向けて書ける場所。
もちろん、これはまだ僕の勝手な感覚です。
Substackを使い込んだわけでもないし、日本語圏でどこまで広がるのかもわかりません。数日触っただけで「こういう場所です」と言い切るのは、さすがに早いと思っています。
でも、文章がメールで届くというだけで、少し書き方が変わる気がするんです。
タイムラインに置く文章は、通りすがりの人にも届く前提になります。だから短く、強く、わかりやすくしたくなる。
noteに置く文章は、あとから検索で来る人にも伝わるように、少し整理したくなる。
では、受信箱に届く文章はどうなのか。
たぶん、少し手紙に近いんだと思います。
もちろん、本当の手紙とは違います。それでも、「たまたま見かけた誰か」ではなく、「受け取ることを選んでくれた人」に届くというだけで、言葉の置き方は変わってくる。
強く叫ぶより、少し落ち着いて話したくなる。全部を結論にしなくても、途中の考えをそのまま置ける気がする。
ここは、僕にとってけっこう大きいです。
僕はメタバースドラマを作っています。
完成した作品を見てもらうことは、もちろん大事です。でも、本当はその前に、いくつもの迷いがあります。
どこまで説明するのか
何を削って、何を残すのか
メタバースの中で生まれた熱量を、どうやって外の世界に届けるのか。
こういう話は、完成した作品だけを見ても、なかなか伝わりません。
なぜその演出にしたのか、どうしてその言葉を選んだのか。どこで迷って、どこで諦めて、それでもどこだけは譲らなかったのか。
そういう制作の裏側や、発信の途中で考えていることも、ここでは少し書いていけるかもしれません。
noteに出す前の考え。Xに流すには長すぎる話。作品になる前の迷い。
・・・・と言うと、またきれいに分類している感じになりますね。
実際はもう少し曖昧です。
書きながら、これはnoteじゃないなと思うことがあります。Xに投げるには少し重いけれど、ちゃんと記事にするほど整理もできていない。そういう、行き場のない考えがたまに出てくる。
Substackでは、そういうものを少し置いてみたいんです。
すぐに大きく伸ばしたいとか、いきなり収益化したいとか、今はそこまで考えていません。もちろん、そういう可能性があることは知っていますし、個人クリエイターにとって読者から直接支えてもらえる仕組みは魅力的です。
でも、今の僕がまず見たいのは、そこではありません。
この場所で書いたとき、自分の言葉が少し変わるのかもしれない。読んでくれる人との距離も、noteやXとは違うものになるのかもしれない。
そのあたりを、もう少し確かめてみたい。
たぶんこれからの個人発信は、ひとつの場所だけに全部を預けるのが難しくなっていきます。
XにもnoteにもYouTubeにも、それぞれ違う強さがあります。早く届く場所、時間をかけて積み上がる場所、作品そのものを残しておける場所。僕もその全部に助けられてきました。
そこにSubstackが入ってきたとき、自分の中でどこが変わるのかは、まだよくわかっていません。
ただ、同じ文章を書いているはずなのに、少しだけ言葉の向きが変わる感じはあります。
誰かに直接届いていくような静けさ。
今の僕には、Substackがそういう場所に見えています。この静けさが長く続くのか、それとも人が増える中でまた別の空気に変わっていくのかは、もう少し見てみないとわからない。
ただ、今は少しだけ違う風が吹いている感じがあります。
だからここでは、タイムラインに流す言葉とは少し違う文章を書いてみようと思います。誰かの受信箱に、そっと届くくらいの温度で。
まだ答えは出ていません。
でも、答えになる前のことも、たまには書いてみてもいいのかもしれません。


noteとXの中間の使い方ですか、いいですね!プロフィールに書かれている全ては作品として残すためという言葉に共感いたしました 🐝