どうも、久我レイジです。
今日二本目の記事です。
そして、今回は少し突っ込んだ記事を書いてみました。
最近、「AIで文章を書くこと」について考える機会が増えました。
僕自身、今はかなりAIを使って文章を書いています。
ただ、僕が違和感を持つのは「AIを使ったこと」そのものではありません。
例えば、「生成AIについて記事を書いて」と、お題だけ渡して、そのまま公開する。
あるいは、ネット上の情報をAIにまとめさせただけの記事を出す。
これだと、その人自身が文章の中にほとんどいないんですよね。
僕の場合は少し違います。
noteを書くときも、まず自分の考えや実際にやっていること、失敗したこと、迷ったことを音声でかなり長く話して、それをAIへ渡すことがあります。
そこから構成してもらい、文章を整えてもらう。
でも、出てきたものをそのまま使うわけではありません。
✅そこは違う
✅僕はそんなこと言ってない
✅ちょっと綺麗にまとめすぎ
そんなやり取りを何度もします。
僕がやりたいのは、文章を書くこと自体ではなく、自分が持っている情報や考えを届けることだからです。
もちろん、一文ずつ自分で書くことに価値を感じるなら、それでいいと思っています。
ただ僕は、AIを使うことで文章を書く時間を減らし、その時間を創作や開発、調査にも使いたい。
それに、AIは使えば使うほど「どこまで任せられるのか」「どこから人間が止めるべきなのか」も見えてきます。
AIを使うこと自体が、AIを知ることにもなっているんですよね。
もちろん最後の確認は必要です。
AIは普通に、本人が言っていないことまで、それっぽく補います。
だから僕は、AIが文章を書いたのか、人間が書いたのかよりも、その文章の中に、ちゃんとその人がいるのかのほうが気になります。
今はまだ「AIで書いた文章」というだけで特別視されます。
でも、AIが当たり前にある世代がこれから大人になっていけば、この議論自体も少しずつ変わっていくのかもしれません。
AIに文章を書かせないことを守るより、自分の中身までAI任せにしないこと。
今のところ、僕はその線でいいと思っています。
数年後には、また違うことを言っているかもしれませんけどね。



最近、AIで書いたら見えない跡が残るのを検知するのかあるとか…。でも壁打ちして、自分の意思を伝えて、そのやりとりはすでにAIだけに書かせたものではなくなってますよね。
日本だけなのか?まだまだAIに対する認知は弱いですね😱
差分学習させ続けたら相当修正減りましたし
自分のものじゃないという感覚も薄れてきましたね。自分が納得さえできてれば、問題無いかと^_^