創作を続ける人ほど、夢を笑われる瞬間がある
どうも、久我レイジです。
夢を笑われた日のことって、意外と忘れないものです。
創作を続けていると、どこかでそういう瞬間に出会うんじゃないかと思っています。
それは、わかりやすい悪口とは少し違っていて、もっと薄い笑いというか、軽く流される感じに近いのかもしれません。相手からすれば、ただの雑談だったり、何気ない反応だったりする。でも、言われた側には残るんですよね。
僕がメタバースドラマ『クロスロード』を作ろうと思った時も、そんな瞬間がありました。
SNSで繋がっていた人の一部から、正直、鼻で笑われていたんです。メタバースってなんだよとか、cluster?知らないとか、まあ頑張って、みたいな言葉を言われたこともあります。
今なら、その反応も少しはわかります。clusterという場所を知らない人にとって、メタバースでドラマを作るなんて、たぶん意味がわからなかったと思うので。
だから、相手を悪者にしたいわけではありません。
ただ、あの時の僕は何も言えませんでした。本当は、これは遊び半分でやっているわけじゃないし、脚本を書いて、演出して、仮想空間の中で役者さんたちと作品を作っていくんだと伝えたかったんです。そういう説明は、頭の中にはありました。
でも、まだ何も形になっていなかったので、自分の中にだけ見えている景色を他人に信じてもらうのは、思っている以上に難しかったんです。説明すればするほど、どこか言い訳みたいに聞こえてしまうこともある。
だから黙るしかなかった。
その場でうまく返せなかったことも含めて、めちゃくちゃ悔しかったです。作品を否定されたというより、自分の中にある本気ごと軽く扱われたような気がして、それがずっと残りました。
創作って、完成する前が一番弱いんですよね。
自分の中では、もう確かに存在しているものがある。でも、それはまだ外には出ていないから、他人から見れば、ただの思いつきにしか見えないことがある。
それでも僕の中には、絶対にカタチにしてやるという気持ちがありました。
言い返したかったのかと言われると、少し違う気もします。もちろん、見返したい気持ちはありました。でも、たぶん僕は、いつか見せたかったんだと思います。
あの時、うまく説明できなかったもの。軽く流された時に飲み込むしかなかったもの。自分の中では本気だったのに、外側にはまだ伝えられなかったもの。
それを、『クロスロード』という形で、ちゃんと外に出しておきたかった。
ドリームキラーという言葉があります。
少し強い言葉なので、僕も簡単には使いたくないんですが、夢を削る言葉って、たしかにあるんですよね。相手にとっては軽い冗談だったのかもしれない。少し現実的なことを言っただけなのかもしれない。でも、受け取る側の中では、それが長く残ってしまうことがある。
だからといって、全部の否定を拒めばいいとも思いません。耳の痛い意見の中に、本当に必要なものが混ざっていることもあります。
ただ、自分の熱を消すだけの言葉と、前に進むために必要な言葉は、やっぱり違うんですよね。
僕も、いまだに揺れます。
外側の反応が気にならないわけではないし、何かを言われて平気な顔をしていても、あとから効いてくることはあります。
でも、軽く見られたことを相手への怒りにし続けると、自分の作品から目が離れてしまう。だから僕は、なるべく形に変えたいと思っています。気づけば脚本に少し混ざっていたり、演出の奥に残っていたり、こうして文章になっていたりします。
夢を小さく扱われた時、その場で強く言い返せる人ばかりではありません。僕もそうでした。
でも、その時に言えなかったことが、あとから作品になることがあります。
悔しさを無理に美談にしなくてもいいし、全部を許したことにしなくてもいい。ただ、そこから何を作るのかは、自分で選べるのかもしれません。
あの時何も言えなかった自分に、いつか見せられるものができたら。
僕はまだ、その途中にいるんだと思います。
たぶん、これからも。



「まだ何も形になっていなかったので、自分の中にだけ見えている景色を他人に信じてもらうのは、思っている以上に難しかった」
どうしてもこの段階は歩まざるを得ないですよね😌
避けられないから、それでも歩み続ける。
その痛みの中の景色もまた、大事な大事なワンシーンのように思えます😌