創作の神様は、家賃を払ってくれない
どうも、久我レイジです。
お金が尽きれば、夢は止まる。
これは、きれいごとではなく現実だと思っています。
創作をしていると、「好きなら続けられる」と言いたくなる瞬間があります。たしかに、好きだから踏ん張れることはある。でも、好きだけで何年も作品を作り続けられるかと言われると、やっぱり難しいんですよね。
作品を作るには時間がいります。機材もいるし、作業できる環境も必要です。メタバースでドラマを作るなら、仮想空間に集まって、アバターの立ち位置を合わせて、声を入れて、撮影して、編集して、関わってくれる人と何度もやり取りすることになる。
表に出る一本の動画や記事の裏には、見えない時間がかなり積み重なっていますし、そこに生活も重なってきます。日々の支払いがあって、体力にも限界がある。夢を追いかけると言っても、現実の生活から切り離されるわけではありません。
だから僕は、お金の話を避けるのは違うと思っています。夢にも維持費があるなんて書くと、少し寂しい言い方に聞こえるかもしれません。でも僕は、それを夢が安っぽいという意味ではなく、現実の中で続けていくための足場として考えています。
ただ、難しいのはここからで、お金が必要なのは間違いないのに、お金を一番前に置きすぎると、夢の形が少しずつ変わっていく気がします。
最初は、ただ作りたかったはずなんです。この物語を形にしたい。この景色を残したい。この人たちと一緒に作品を作りたい。そういう、数字になる前の熱みたいなものがあったはずなのに、発信を続けていると、いつの間にか「これは伸びるのか」「読まれるのか」「収益につながるのか」を先に考えてしまうことがある。
もちろん、届け方を考えるのは大事です。誰にも届かなければ、作品は広がっていかない。タイトルも考えるし、サムネイルも作る。見つけてもらうための言葉も選ぶ。
でも、そのたびに少し引っかかるんです。これは本当に、僕が届けたい温度なのかな、と。
少し強い言葉を選んだ方が読まれそうなときがあります。サムネイルの文字を大きくした方が、目に留まりそうなときもある。ただ、その一歩先で、作品の静かな部分まで削っていないかと思うことがあるんです。
メタバースドラマは、効率だけで見たら回り道だらけです。アバターで集まって、立ち位置を合わせて、声を入れて、撮影して、編集して、何度も確認する。ひとつのシーンを撮るだけでも、思ったより時間がかかることがあります。
でも、その面倒くささの中にしか残らない温度がある。撮影の合間に笑ってしまう瞬間や、うまくいかなくて何度もやり直したあとに、やっと画面の中へ入ってくる感情。そういうものは、数字だけでは測れないんですよね。
効率や収益だけを基準にしたら、真っ先に削られてしまう時間の中に、作品の芯みたいなものが混ざっていたりする。僕は、そこを雑にしたくないんです。
稼ぐために作るのか。作り続けるために稼ぐのか。
この違いは、見た目よりずっと大きい気がします。稼ぐために作るとなると、作品は手段になります。でも、作り続けるために稼ぐなら、作品は中心に残る。お金はその周りを支えるものになる。
たぶん、僕が守りたいのはこの順番なんだと思います。
夢を止めないために、収益化も考える。タイトルもサムネイルも直す。でも、夢の向きまでお金に決めさせたくはない。
稼ぐことから逃げたいわけではないし、稼ぐことに飲まれたいわけでもない。そんなことを考えながら、今日もまた記事タイトルを直したり、サムネイルの文字を少し弱めたり強めたりしています。
たぶん、この迷い方ごと、今の僕なんだと思います。正直、まだきれいには割り切れていません。



誰もが一度は悩む道なのかなと思いました。
中医学の世界には中庸という考え方があります。何事もバランスが大切という事です。
お金も夢も切り離しては考えられないものなので、両面から攻めたり守ったりする事が大切だと思います。
「作り続けるために稼ぐ」という順番の話、印象に残りました。
お金の話を避けない。でも、お金に作品の向きまでは決めさせない。
創作を続ける人の、かなり現実的で、かなり切実な足場の話ですね。