創作の神様は、たぶんオムツ替えまではしてくれない
どうも、久我レイジです。
創作って、本人の中ではかなり本気なんですけど、家族から見ると、わりと厄介なものに見えることがあると思います。
作っている側は、ただスマホを眺めているつもりではないんですよね。物語のことを考えていたり、キャラクターの違和感を探していたり、昨日うまくいかなかった表現をどう直すか、頭の中ではずっと何かが動いている。
でも、それは外から見ると、ほとんど見えません。
画面を見ている時間が長ければ、スマホを触っているだけに見えるし、パソコンの前に座っていれば、趣味に逃げているように見えることもある。本人の中では制作の一部でも、家族からすれば「今、それじゃないでしょ」と感じる瞬間があるのも、正直わかります。
ここが、創作のいちばん難しいところなんだと思います。
創作活動って、完成するまでの時間が長いです。脚本を書き直している時間も、設定を練っている時間も、画像を試している時間も、映像の流れを考えている時間も、作っている本人の中では全部つながっています。
ただ、どこか一部分だけを切り取っても説明しにくいし、作っている途中のものって、まだ言葉にできないことも多いんですよね。
でも家族からすると、その途中経過はわかりにくい。
「それ、今やる必要あるの?」とか、「ずっとスマホ見てるけど大丈夫?」とか、時には「結局、何を作っているの?」と言われることもあるかもしれません。
そう言われると、作っている側としてはかなり痛いです。
ただ、家族側にも生活があります。
特に小さな子どもがいる家庭なら、なおさらです。赤ちゃんがいる時期は、寝不足が続くし、家事も思うように進まないし、体力も気力もかなり削られます。
そんな状態の横で、誰かが創作に集中していたら、たとえ本人がどれだけ本気でも、「こっちは今、目の前の生活で精一杯なんだけど」と感じてしまうことはあると思います。
これは、創作が悪いという話ではないんです。
ただ、家庭の中で誰かに負担が寄っている時、創作は応援されるものではなく、生活を圧迫するものに見えてしまうことがある。
きつい話ですけど、そこは避けて通れない気がします。
創作している側は、自分の本気をわかってほしくなります。
本人からすれば、遊びでも暇つぶしでもなくて、ちゃんと考えながら、いつか形にしたいと思っているものなんですよね。自分にとっては、かなり大事なものだからこそ、わかってほしくなる。
でも、家庭の中で疲れている人にとって、その「本気」という言葉が、時々言い訳に聞こえてしまうことがあるんだと思います。
家のことが少しずつ後回しになって、育児の負担も気づけば片方に寄っている。話しかけても返事はあるけど、目は画面から離れていない。そういう場面が何度も続くと、作品の話をしているつもりでも、相手には「また自分のことを優先している」と映ってしまうことがある。
これは、僕自身も耳が痛いところです。
そういう状態で「本気なんだ」と言っても、届きにくいです。
夢を語る前に、日々の生活の中で信用されているか。
ここを、かなり見られている気がします。
創作を続けたいなら、家族に全部を理解してもらおうとする前に、まず不安を減らす必要があるのかもしれません。
創作する時間をある程度決めておくとか、家のことを誰かに任せきりにしないとか、子どもが寝たあとに少しだけ進めるようにするとか。そういう地味な線引きのほうが、熱い言葉よりも家族には伝わることがあります。
創作は自由なものです。
でも、家族と暮らしている以上、完全に自分だけの時間ではない。
ここを忘れると、作品を作っているつもりが、いちばん近くにいる人との距離を広げてしまうこともあるんですよね。
創作を守るために、生活を雑にしてはいけない。
これもまた、自分に返ってくる言葉です。
創作は、完成するまで本当に伝わりにくいです。
頭の中にどれだけ大きな世界が広がっていても、それが形になっていなければ、周りにはなかなか見えません。作っている本人の中ではもう輪郭があるのに、外から見るとまだ何もないように見えてしまう。
だから、小さくても何かを見える形にすることは必要なんだと思います。
たとえば、短い文章でもいいし、数分の動画でもいい。イラスト一枚でも、短編作品でも、途中のラフでもいいから、何かしら見えるものがあると、「何をしているかわからない」が「こういうものを作っていたんだ」に少し変わる瞬間があります。
もちろん、それで急に応援されるほど、家庭の空気は単純ではないです。
でも、見えなかったものが少し見えるようになるだけで、疑いの中にあった空気が、ほんの少しだけやわらぐことはあると思います。
創作を理解してもらうって、たぶん言葉だけで説得することではないんですよね。
家庭を大切にする姿勢を見せながら、作品を少しずつ形にしていく。その積み重ねの中で、「この人は本当に作っているんだ」と伝わっていく。
時間はかかります。
たぶん、かなりかかる。
でも、創作を続けることと、家族を大切にすることを別々にしすぎると、どこかで無理が出てくる気がします。
僕も、作品だけを見てほしいとは思わないんです。
その作品が、どんな生活の中から生まれているのか。誰かの時間をもらって、誰かの理解に少し支えられて、ようやく形になっているのか。
そこまで含めて、創作なのかもしれません。
だから、家族にわかってもらえないと感じた時ほど、すぐに「理解がない」と切り捨てないほうがいいのかなと思います。
もしかすると、まだ見えていないだけかもしれない。
こちらの本気も。
相手の疲れも。
その間にあるものを、少しずつ形にしていくしかないんでしょうね。


