画像生成の民主化ではない。制作スタジオの民主化だ
どうも、久我レイジです。
ここ最近、画像生成AIや動画生成AIを見ていて、さすがに少し空気が変わってきたなと感じています。
少し前までの画像生成AIって、「すごい1枚絵を作れる技術」として見られていたと思うんですよね。
映画のワンシーンみたいな画像を作れたり、綺麗なイラストを出せたり、SNSで目を引くビジュアルを作れたりする。
それだけでも、十分すごかった。
僕自身も、作品の世界観を考える時や、告知用のビジュアルを作る時に、何度も助けられてきました。
でも今起きている変化は、そこから少し先に進んでいる気がします。
画像生成AIが、単に「完成した1枚」を作る道具ではなくなってきたんですよね。
生成した画像を起点にして、動画にしたり、デザインとして組み直したり、作品の告知やポスター、サムネイルに展開したりできる。
たとえば、GPT Image 2で作ったキャラクターや世界観の雰囲気を、Seedance 2.0のような動画生成AIで動かしていく。
さらに、その画像をそのまま使うのではなく、Canvaなどで文字や余白を整えて、告知画像としてもう一度作り直す。
これを「便利になったね」で終わらせるには、ちょっと大きすぎる変化だと思っています。
たぶん今始まっているのは、画像生成の民主化だけではありません。
映像制作、デザイン、宣伝、世界観の見せ方まで含めて、個人が扱える範囲が一気に広がり始めている。
言い換えるなら、個人が小さな制作スタジオを持てる時代に近づいているのかもしれません。
ここが、僕はかなり大きいと思っています。
個人クリエイターにとって、頭の中にあるものを外へ伝わる形にするのって、意外と難しいんですよね。
物語はある。
キャラクターもいる。
世界観もある。
でも、それを初めて見る人が一瞬で「ちょっと気になる」と思える入口にするには、また別の力が必要になります。
ここで止まってしまう人は、たぶん多いです。
作品の中身が弱いわけじゃない。
ただ、入口の見せ方が追いつかない。
これ、創作をしている人ほど分かる感覚ではないでしょうか。
AI画像やAI動画、そしてCanvaのようなデザインツールの進化は、その入口を作る力を個人に渡し始めているように感じます。
もちろん、AIを使えば誰でも同じように強くなるわけではありません。
むしろ、ツールが便利になるほど、作り手の差は見えやすくなると思っています。
どの瞬間を切り取るのか。
何を動かして、何を動かさないのか。
その画像や映像を見た人に、次に何を感じてほしいのか。
そういう部分を考えていないものは、たぶんすぐに流れていきます。
綺麗だけど、残らない。
それっぽいけど、引っかからない。
AIがすごくなるほど、逆に作り手の考えが見えてくる。
僕は、そんな感じがしています。
僕自身、メタバースドラマを作ってきた立場なので、この変化は他人事ではありません。
メタバースの中にある熱量って、外から見ると少し伝わりにくいところがあります。
中にいる人には空気が分かる。
でも外から見ると、何が起きているのか、どこから入ればいいのか、少し見えづらい。
これはずっと課題でした。
だからこそ、AI画像やAI動画は、メタバースの空気を外へ翻訳するための入口になり得ると思っています。
AIで何を置き換えるかではなく、AIによって何を届けられるようになるのか。
たぶん、これから大事になるのはそこです。
画像生成AIや動画生成AIは、作品づくりを簡単にするだけではなく、作品の届け方まで変え始めています。
まだ全部は言葉にできません。
でも、何かが始まりかけている感覚があります。
個人が、企画し、作り、見せる。
その流れを一人でも組める時代が、少しずつ近づいている。
僕はこの変化を、もう少し追いかけてみたいと思っています。



久我さん
こんにちは
私も似たようなことを思ってました。
AIを使って画像はつくれる、そこから「何かに」繋げる発想ができるか、できないか…なのか
どう見せていくか
私は何をしていくか
創作し続ける自分でありたいし、その創作物が誰かに喜ばれるものでもありたいです