バズった名前に、中身は残っているのか
どうも、久我レイジです。
SNSを開けば、誰かがバズっている。再生数、フォロワー、トレンド。数字がすべてを語るように見える世界で、ふと「人気者と有名人って、何が違うんだろう」と思うことがあります。
僕は、人気者にはなりたいと思う。けれど、有名にはなりたくない。
人の目に追われるより、誰かの心に残るほうがいい。名前だけが広がって、自分の中身が置き去りになるのは、やっぱり少し怖いんです。
正直、昔は数字に心を奪われかけた時期もありました。フォロワーの増減で一喜一憂し、反応の薄い投稿を消しては「何が悪かったんだろう」と考え込む。誰かのようになろうとするほど、自分の言葉が薄まっていった気がします。
それでも、やめなかったんです。
言葉を書くことを。たぶん、好きなんでしょうね。こういう静かな時間が。
有名になるというのは、誰かの話題になることです。まだ会ったことのない誰かに語られ、時に誤解され、自分の言葉が自分の手を離れて歩いていく。
それは確かに影響力かもしれません。でも同時に、名前が消費されていく感覚もあると思います。
一方で、人気者というのは距離が違います。
その人の発信に「わかる」と頷けたり、日常の言葉が少し前を向くきっかけになったりする。顔も知らないのに、なぜか近くに感じる。それは、数字では測れない信頼の空気です。
有名人は広く届く。人気者は深く届く。
この違いは、かなり大きいと思っています。
僕は2024年、clusterで多くの人に久我レイジという存在を知ってもらい、メタバースドラマを見てもらいたくて表舞台に立っていました。
けれど2025年は、自分で主催したイベントは1つだけ。定期イベントも一時休止しています。
目立ちたいから動いていたわけではありません。届けたいものがあったから動いていたんです。
もしチヤホヤされたいだけなら、今も毎週のようにイベントを立ち上げていたと思います。でも、そうじゃない。
今は、届けたいものをもう一度整えている時間です。
メタバースドラマを作っていると、表に出る人だけでは何も成立しないと何度も思います。演じる人、衣装を用意してくれる人、ワールドを整える人、カメラの後ろで黙って画を支えてくれる人。
そういう人たちがいて、やっとひとつの場面が立ち上がる。
僕自身も、支える側に回って初めて見えた光がありました。自分が前に出るより、誰かの挑戦を支えたときのほうが、心の奥が静かに満たされる瞬間がある。
表に出る人だけが人気者なのではなく、誰かの挑戦を静かに支えられる人も、僕は人気者だと思っています。
たまに、あの頃の自分を思い出します。
がむしゃらに走って、数字を見て、反応を気にして、それでも何かを届けようとしていた自分。必死だったけど、あの熱がなかったら今の僕はいません。
だから、目立つことを否定したいわけじゃないんです。
ただ、僕が本当にほしいのは、一瞬の話題ではなく、長く残る信頼なんだと思います。
人気者とは、目立つ人のことではない。
その人がいることで、誰かが少し前を向ける人のことだと思います。
それが、僕の思う人気者のかたちです。
あなたにとって「人気者」とは、どんな人ですか。



オンラインオフラインに関わらず、人として魅力があって、この人のこともっと知りたい!とか、ちゃんと関わりたい!と思える人が人気者かなと思ってます🫶
記事やポストで接触できる回数のような気がしてきました😊
Substackに来れば会える的な存在がいいですかね😁