いい大人が、アバターでドラマを撮って何が悪い
クリエイティブは稼ぎにならない。それでも僕が作る理由
どうも、久我レイジです。
「クリエイティブは稼ぎにならない」
この言葉を聞くたびに、正直、半分くらいは分かってしまう自分がいます。
作品を作るには時間がかかるし、人も必要になる。機材も、場所も、宣伝も、全部きれいごとでは済みません。完成した瞬間にお金が返ってくるわけでもないし、現実だけ見れば「自分は何をやっているんだろう」と思う日の方が多いかもしれません。
でも、稼ぎにならないから価値がないと言われると、そこだけは黙って頷けないんです。
僕は今、メタバースドラマを作っています。
clusterの中でドラマを撮り、アバターで演じてもらい、仮想空間の劇場で観てもらう。言葉にすると少し変わっているだけに聞こえるかもしれませんが、実際はかなり地味で、手探りで、説明しづらいことばかりです。
外から見れば、いい大人がアバターでドラマを撮っているだけに見えるかもしれない。
でも、僕にとっては、そこにしか撮れない表情があります。
現実のカメラでは撮れない距離感や、現実の舞台では立てない場所が、メタバースにはある。年齢も、住んでいる場所も、現実の肩書きも越えて、同じ物語の中に立てる。
だから僕は、わざわざこの面倒な場所で物語を作っているんだと思います。
とはいえ、熱だけでは続きません。
ここを曖昧にしたまま進むと、創作はすぐ消耗戦になります。好きだからやる。意味があるから続ける。それは大事です。でも、その言葉だけで人の時間を借り続けるのは、いつか無理が出る。
企業から見れば、効果が見えにくい場所にお金を出しづらいのは当然です。どれだけ面白い作品でも、「で、どれくらい届くんですか?」と聞かれた時に、数字で返せなければ話は止まってしまう。
だから創作側も、収益化の話から逃げてはいけない。スポンサーを探すことも、有料配信やチケットを考えることも、支援の仕組みを作ることも、避けて通れない。
ただ、お金の話だけで作品の価値を測ろうとすると、こぼれ落ちるものもある。
何年も前に見た映画のワンシーンを、ふとした瞬間に思い出すことがあります。その時は何でもなかった言葉が、数年後に急に胸に刺さることもある。
作った側にとっては過去の作品でも、受け取る側にとっては、その日初めて出会うものだったりする。
この時間差があるから、クリエイティブは面倒で、たぶん救いもあるんだと思います。
今の個人クリエイターは、作るだけでは届きません。
noteに考えを残す。YouTubeに作品を置く。Xで制作途中の温度を出す。clusterで劇場公開する。
これは単なる宣伝ではなく、あとから誰かが辿り着ける道を作る作業なんだと思っています。
個人クリエイターにとって、作品を作ることと、作品に辿り着ける道を作ることは、もう別々に考えられないのかもしれません。
正直、作品だけ作っていたい日もあります。
でも、作ったものが誰にも届かないまま流れていく方が、僕はもっと悔しい。
創作は、稼げないから弱いんじゃない。
稼げる形に変換するところまで、作り手が背負わされる時代になったんだと思います。
作品を作り、発信し、届け方を考え、数字を見て、支援の導線まで作る。そこまでやって、ようやく「続けられるかもしれない」という場所に立てる。
たぶん今の個人クリエイターは、作家であり、編集者であり、営業であり、広報でもある。
だから疲れるんです。
それでも、そこで「じゃあ作るのをやめる」とは、まだ言いたくない。
人の心に残るものは、いつも効率よく生まれるわけではありません。誰かの無駄に見える時間や、説明しづらいこだわりや、うまく言葉にできない悔しさの中から、ひょいと生まれるものがある。
だから僕は、まだ作っています。
すぐに大きな収益になるかは分からないし、文化と呼ばれるところまで届くのかも分かりません。
それでも、何も残さなかった未来よりは、少し不器用でも、何かを置いていく未来を選びたい。
結局、僕はまた画面の前に戻ってしまう。
まだ形になっていない物語が、そこにある気がするので。



おはくが〜