文化の種をまいて、赤字の水をやっている
好きな人だけの世界で終わらせないために
どうも、久我レイジです。
メタバース創作を続けていると、最近よく考えることがあります。
それは、無償や個人の持ち出しだけに頼る形には、やっぱり限界があるということです。
もちろん、自分が持ち出しをしてでも、演者さんやスタッフさんに少しでも謝礼を渡せるなら、それはすごく大切なことだと思っています。
作品って、ひとりでは絶対に完成しません。
声を入れてくれる人がいて、動いてくれる人がいて、撮影や編集を支えてくれる人がいる。
その時間や労力は、本当に軽いものじゃないんですよね。
だからこそ、できる範囲でも返したいという気持ちはずっとあります。
ただ、その形だけでは、どうしても「個人の趣味」の延長線から抜け出しにくい。
ここが、最近かなり強く感じている部分です。
メタバースで作品を作ること自体は、情熱があればある程度できてしまうんです。
機材を揃えて、ワールドへ行って、仲間を集めて、時間を削れば、作品そのものは作れる。
実際、僕自身もそうやってここまでやってきました。
でも、その先。
「文化」として広がっていくには、やっぱり企業やメーカーなどのスポンサー協賛が必要になってくると思っています。
ただし、スポンサーは結果が全てです。
これは厳しい話というより、むしろ当然なんですよね。
どれだけ熱量があっても、どれだけ想いを込めていても、外側から見た時に「ここには価値がある」と判断できる材料がなければ、お金はなかなか動かない。
そして、メタバースの難しいところは、その価値を数字として見せづらいところにあります。
実際には、人は集まっています。
空間の中で交流も生まれているし、その場で泣いたり笑ったり、イベント終了後に感想を語り合っている光景もある。
でも、その熱量を外側へ説明できる形に変換するのが、本当に難しい。
YouTubeなら再生数があります。
リアルイベントなら来場者数や売上がある。
ところが、メタバース空間で生まれている「空気感」や「体験価値」は、まだまだ数値化しにくいんですよね。
ここが、メタバースエンタメ最大の泣きどころなんだと思っています。
だから最近は、作品を増やすことだけじゃなく、「どう見せるか」まで含めて考えないといけない時代に入ってきている気がしています。
イベント後のレポートの作り方なのかもしれない。
SNSでの切り抜きやスクリーンショットの残し方かもしれない。
あるいは、メタバース内で起きた感情を、映像や文章として外側へ翻訳することなのかもしれない。
内側だけで盛り上がっていても、外からは見えない。
でも逆に言えば、その【見えない熱】を伝えられるようになった時、メタバースエンタメはもう一段階先へ進める気がしています。
そして、これはプラットフォーム側だけに任せる話でもないんですよね。
もちろん、clusterのようなプラットフォーム側が、データや導線を整備していくことも大切だと思います。
でも、それを待つだけではなく、個人のクリエイター側も、「今できること」を積み重ねていく必要がある。
・イベントの記録を残す
・数字を整理する
・外側へ伝わる形に変換する
そういう地味な部分も含めて、これからは創作の一部なんだろうなと感じています。
結局、メタバースって、まだ「文化を作っている途中」なんですよね。
完成された市場に乗っかっているというより、まだ土を耕している段階に近い。
だからこそ大変だし、遠回りも多い。
でも、その分、新しい娯楽やエンタメ文化として伸びていく可能性も、まだまだ残っていると思っています。
情熱だけで終わらせないために。
作る人も、演じる人も、支える人も、無理をし続けなくても挑戦できる場所にしていくために。
僕自身も、個人クリエイターとしてできることをやりながら、メタバースという場所で、新しいエンタメ文化を少しでも前へ進められるよう頑張っていきたいと思っています。
やるぞー!



とても共感しました。
特に「見えない熱をどう伝えるか」という部分が、メタバースやVR演劇にとって本当に大事な課題だと感じます。
知り合いがVR演劇に関わっているのですが、その場にいる人だけが受け取れる空気や余韻が確かにある一方で、それを外側の人に伝えるのは簡単ではないんですよね。
でも、だからこそ記録やレポート、言葉や映像で体験価値を翻訳していくことが、これからの創作の一部になっていくのだと思いました。
作る人、演じる人、支える人が無理をし続けなくても続けられる環境になっていくことを願っています。
うまくコメントにできないですが、とにかく熱量と日頃のメタバースをどうやっていこうかたいう熱量ある思考を、これだけ言語化されていて、続きの記事を読みたく成ります。
下手なコメントでごめんなさいm(_ _)m