「あとで読む」は、SNS最大のやさしい嘘
どうも、久我レイジです。
Substackを使い始めてから、SNS発信について少し見え方が変わりました。
SNSで投稿していると、いいねがついたり、コメントをもらえたり、リポストしてもらえることがあります。それ自体は本当にありがたいですし、反応があるだけで、発信していてよかったなと思える瞬間もあります。
ただ、その一方で、ずっと感じていたこともありました。
反応はあるのに、人はなかなか動かない。
記事を読んでほしい。動画を見てほしい。作品に触れてほしい。イベントに来てほしい。そう思って発信しても、実際にそこまで行動してくれる人は、思っているよりずっと少ないです。
僕自身、メタバースドラマ『クロスロード』を長い時間かけて作ってきました。告知もしてきたし、制作の裏側も発信してきました。応援の言葉をもらうこともありました。
でも、応援してくれることと、実際に作品を見てもらうことは、やっぱり別なんですよね。
「見ます」と言ってくれた人が、全員見てくれるわけではありませんし、「応援しています」と言ってくれた人が、必ずイベントに来てくれるわけでもありません。
とはいえ、これは誰かを責めたい話ではないんです。
僕だって、誰かの投稿にいいねを押して、そのまま流れてしまうことがあります。あとで読もうと思っていた記事を、結局読めなかったこともあります。
だからこそ、人は興味がないから動かないわけではないのかもしれない、と思うようになりました。
今のSNSは、とにかく流れが速いです。気になる投稿があっても、次の投稿がすぐに流れてくる。あとで読もうと思っても、その「あとで」はだいたい来ない。リンクを開く前に別の通知が入り、意識が別の話題へ持っていかれることもあります。
つまり、人が冷たいから動かないのではなく、動く前に流されてしまう。
SNS発信の限界は、届かないことだけではなく、届いたあとに流れてしまうことなのかもしれません。
SNSは、見つけてもらう場所としては強いです。短い言葉で印象を残せるし、偶然届くこともあります。ただ、じっくり読んでもらう場所として考えると、かなり難しい。
その点、Substackは少し違います。
もちろん、Substackを使えばすぐに人が動くという話ではありません。そんな魔法みたいな場所ではないです。
でも、フォローとは別に購読という形があり、文章を読む前提で来てくれる人がいます。タイムラインでたまたま見かけたというより、「この人の文章をもう少し読んでみよう」と思って、少しだけ時間を預けてくれる感覚があるんです。
SNSでは、投稿ごとに関係が切れやすいところがあります。でもSubstackでは、前の記事を読んだ人が、次の記事にも来てくれる感覚があります。
発信が流れて終わるのではなく、少しだけ残る。その人の中に、ほんの少し引っかかる。
人を動かすには、たぶんこの「引っかかり」が必要なんだと思います。
短い投稿で知ってもらい、少し長い文章で考えを届け、作品の裏側を見てもらい、人柄を感じてもらう。その積み重ねの先で、ようやく「見てみよう」「読んでみよう」「行ってみよう」になる。
だから、SNSだけで全部を完結させようとすると苦しくなります。
SNSは入口として使い、Substackやnoteでは関係を育てていく。YouTubeや作品ページでは実際に作品へ触れてもらい、イベントでは同じ時間を共有する。そうやって、それぞれの場所の役割を分けて考えると、発信の流れが少し整理されてきます。
人が動かないことは、発信者への否定ではないと思っています。
まだ動く理由を渡しきれていないのかもしれないし、信頼の積み上げも足りないのかもしれない。そもそも、次に進んでもらうための導線が弱い可能性もあります。
SNS発信の限界を知ることは、諦めることではありません。むしろ、ちゃんと使い分けるために必要なことです。
いいねをもらうことと、時間を預けてもらうことは違っていて、僕はたぶん、その違いを今さら痛感しているのだと思います。でも、だからこそ発信は面白いんですよね。
ここから先は、反応を集めるだけじゃなく、人が一歩動きたくなる理由を、ちゃんと作っていきたい。
たぶん発信って、ここからが本番なんだと思います。



久我さん、こんにちは✨
読んでいて、久我さんが作品に時間をかけてきたからこそ感じている届ける難しさが伝わってきました。
自分が届けたい作品って、今はどうしても構造的に流れてしまうのですね…
あまり打算的になりすぎるのも違うとは思いつつも、いきなり「読んでください」ではなく、そこに至るまでの入口を少しずつ整えていくことが大事なのかなと感じました🤔
私も絶賛悩んでいるところだったので、とても心が軽くなりました😂😂
また、久我さんの作品や発信、読みに来ますね🍀