SNSで好かれる人は、コメント返しが少しだけ違う
どうも、久我レイジです。
SNSで発信を続けていると、毎日いろいろな人の投稿やコメントを目にします。
その中で僕がわりと意識しているのが、コメントを返す時に、できるだけ相手の名前を添えることです。
たとえば、誰かから朝の挨拶をもらった時に、ただ「おはようございます!」と返すのも、もちろん悪くありません。
でも、そこに「〇〇さん、おはようございます!」と名前が入るだけで、受け取る側の印象は少し変わるように思います。
ほんの一言の違いなのに、急に会話が「誰かに向けた言葉」ではなく、「自分に向けて返してくれた言葉」に変わるからです。
これ、心理学やコミュニケーションの話でもよく出てきます。
有名な自己啓発書『人を動かす』の著者、デール・カーネギーも、人の名前はその人にとって特別な響きを持つ、という趣旨のことを書いています。
ただ、僕はこの話を「人に好かれるためのテクニック」としてだけ見るのは、少し違う気がしています。
もちろん、名前を呼ばれたら嬉しい人は多いと思いますし、会話の距離も縮まりやすいでしょう。
でも、それ以上に大事なのは、名前を呼ぶことで、こちら側も相手をちゃんと一人の人として見直せることだと思うんです。
SNSは、どうしても数字が目立つ場所です。
フォロワー数、いいね数、再生回数、登録者数。
活動を続けていく上で、そういう数字を見ること自体は大切ですし、僕も正直かなり見ます。
見ないふりはできません。
記事を書いたら反応は気になりますし、動画を出したら再生数も見ます。フォロワーが増えたら嬉しいし、逆に減ったら少しだけ理由を考えてしまうこともあります。
たぶん、発信している人なら、多かれ少なかれ同じような感覚はあるんじゃないでしょうか。
ただ、数字だけを見始めると、どこかで発信が冷たくなる感覚があります。
コメントをくれた人も、反応してくれた人も、ただの「数」として見てしまうと、その人が自分の時間を使って読んでくれたことを忘れてしまう。
ここが怖いところです。
自分の投稿を読んでくれた人がいて、時間を使ってコメントを書いてくれた人がいて、何も言わなくても静かに見守ってくれている人もいる。
そう考えると、名前を呼ぶという行為は、単なるコミュニケーションテクニックではなく、相手を数字にしないための小さな礼儀なのかもしれません。
僕自身、コメント返しをしていても、名前を添えた時の方が会話の空気が柔らかくなる感覚があります。
もちろん、毎回必ず名前を入れなければいけない、という話ではありません。
コメントが多い時もありますし、流れが速い時には、すべてに丁寧に返すのが難しいこともあります。
無理にやろうとすると、それはそれで義務になってしまいます。
それでも、初めてやり取りする人や、何度も応援してくれている人には、できる範囲で名前を呼ぶようにしています。
その方が、ただの返信ではなく、ちゃんとその人に向けた言葉になる気がするからです。
僕自身、AIもかなり使っています。
文章の整理にも使いますし、画像生成のプロンプトを考える時にも使います。発信の補助として、毎日のようにAIに助けられているのは間違いありません。
でも、AIを使えば使うほど、最後に人との距離を決めるのは、効率ではなく「その人に向けた一言」なんじゃないかと思うようになりました。
どれだけ文章を整えても、どれだけ投稿頻度を上げても、そこに人を見ている感覚がなければ、どこかで言葉は薄くなってしまう。
便利になった時代だからこそ、名前を呼ぶという少し面倒にも見える行為に、逆に人間らしさが残るのかもしれません。
「〇〇さん、ありがとうございます」
「〇〇さん、おはようございます」
たったそれだけのことですが、その一言で、相手との距離が少しだけ近くなることがあります。
大げさなことをしなくても、人との関係は、こういう小さな言葉の積み重ねで、少しずつ変わっていくのかもしれません。



わたしも そう思います😊
名前を添えて コメントをすると相手の人と 少し近くに居る存在と言うような気持ちも自分に出てくるから 自然と相手の人を思いやったお話が出来るような気がしてます🍀
久我さん、これは私も全く同じことを思っています。
SNSに限らず、職場でも『⚪︎⚪︎さん』を所々に挟んで話をするように心掛けていたり。
仕事柄、高校生と話すことが多い毎日ですが、君付けでもなく、『さん』を使います。
相手の名前を会話の中に組み込むだけで、ただ話すだけよりこちらの問いかけに、きちんと反応してくれるようになってくれている気がします。
substackでも、必ずできているわけでもありませんが、リスペクトの意を込めて、名前を呼ぶことは大切だなぁと感じます。