Substackのお祭りに入ったつもりが、いつの間にか耐久レースになっていた
どうも、久我レイジです。
そろそろ、Substackもお祭り騒ぎが少し落ち着いてきた頃かもしれません。
最初の頃は、かなり熱がありましたよね。
新しい場所に入って、フォローが増えて、購読者が増えて、Notesにも人が集まってきて、Xとは違う空気感があって。
「あれ、ここなら届くかもしれない」
そう感じた人も多かったと思います。
僕もその感覚はあります。
Xのタイムラインみたいに爆速で流れていく感じではなく、もう少し人の声が近くに届くような感覚がある。広告も少なくて、数字だけに飲み込まれていく感じも、今のところはそこまで強くない。
だからこそ、最初はみんな前のめりになるんですよね。
フォロワーを増やしたいし、購読者も増やしたい。せっかく新しい場所に来たのだから、ここで自分の立ち位置を作っておきたい。
その気持ちは、すごく自然だと思います。
むしろ、新しい場所に入った直後に動ける人は強いです。初期の熱があるうちに動いた人ほど、名前も覚えてもらいやすいし、繋がりも生まれやすい。
ただ、その熱はずっと続きません。
ここを勘違いすると、けっこうしんどくなる。
人は、常に高いモチベーションではいられないんですよね。
新しい場所に飛び込んだ直後は、通知が来るだけでもうれしい。自分の投稿に反応があると、もう少し書いてみようかなと思える。知らない人と繋がって、コメントをもらって、また誰かの投稿を見に行く。
それ自体は、ちゃんと楽しいんです。
でも、楽しいはずだった巡回が、いつの間にか少し重くなることがある。
昨日まであんなに見たかったNotesが、今日は少し開くのがしんどい。フォロワーさんの投稿を見に行きたい気持ちはあるのに、全部追おうとすると疲れてしまう。誰かが伸びているのを見ると、素直にすごいと思いながらも、自分ももっと動かなきゃいけない気がしてくる。
ここで疲れる人は、たぶん少なくないと思います。
それは、Substackが悪いという話ではありません。
むしろ、人との距離が近く感じる場所だからこそ、起きやすい疲れなのかもしれません。
Substackは、フォローと購読の距離が近いです。投稿がメールで届くこともあるし、Notesでのやり取りもある。Xより穏やかに見える一方で、相手との距離が近いぶん、ちゃんと見なきゃ、ちゃんと反応しなきゃ、という気持ちも生まれやすい。
最初はそれが温かさに感じる。
でも、少し時間が経つと、その温かさが少しだけ圧にもなる。
たぶん、ここが今の疲れの正体なんじゃないかなと思います。
みんなが高いモチベーションのまま走っていた。フォロワーを増やすために動いていた。自分の場所を作るために、かなり前のめりになっていた。
その反動が、今じわっと出てきている。
僕自身、繋がってくれた人の投稿を見に行く中で、「あれ、この人最近Notesで見ないな」と感じることが少しずつ出てきました。
Xに戻ろうかな、と言っている人もいます。
少し休もうかな、という空気を出している人もいます。
最初の盛り上がりが落ち着いたことで、逆に周りを見る余裕が出てきて、そこで目につく発信が増えて、少し疲れている人もいるのかもしれません。
でも、それは別に負けではないと思うんです。
飽きたわけでもない。向いていないわけでもない。
ただ、お祭りの時間が終わって、日常の温度に戻り始めただけ。
新しい場所の初期って、どうしても全力疾走になりがちです。
今動かないと置いていかれる気がするし、ここで存在感を出さないと埋もれる気がする。せっかく新しい流れが来ているんだから、乗らなきゃ損だと思ってしまう。
でも、その感覚だけで走り続けると、発信がだんだん楽しいものではなくなっていきます。
書きたいから書くのではなく、書かなきゃいけない気がしてくる。見に行きたいから見に行くのではなく、巡回しないといけない気がしてくる。繋がりたい気持ちよりも、反応しなきゃという義務感の方が強くなってくる。
この状態になってくると、かなり危ないです。
発信って、本来は自分の中にあるものを外に置いていく行為のはずなのに、周りの速度に合わせることばかりに意識が向いてしまう。
もちろん、数字は大事です。
フォロワーも、購読者も、反応があるかどうかも、続ける上ではかなり大事です。
綺麗ごとだけで発信は続きません。
誰にも届かない場所で、ずっと同じ熱量を保てる人なんて、たぶんほとんどいない。
だから、伸ばそうとすること自体は悪くないです。むしろ、届けたいならちゃんと考えた方がいい。
ただ、数字を取りに行くことと、自分の心をすり減らすことは別です。
ここを混ぜると、長く続かなくなる。
Substackを始めたばかりの今は、まだ「何者として見られたいか」をみんな探っている時期でもあると思います。
クリエイターとして見られたい人もいれば、書き手として見られたい人もいる。専門性を出したい人もいるし、日常をゆっくり置きたい人もいる。Xとは違う自分を出したくて、少し言葉の置き方を変えている人もいると思います。
だからこそ、周りの発信を見ると、自分の位置が気になってくるんですよね。
周りを見ていると、もう有料化を始めている人がいたり、毎日のようにNotesへ顔を出している人がいたりします。フォロワーが目に見えて増えている人もいれば、コメント欄に自然と人が集まっている人もいる。
そういう姿を見ると、すごいなと思う反面、どこかで自分の立ち位置が気になってくる。
別に比べたいわけじゃないのに、気づいたら比べてしまうんですよね。
自分はこのままでいいのか。もう少し動いた方がいいんじゃないか。今のうちに何か形を作っておかないと、後から入りづらくなるんじゃないか。
そんなふうに、周りの熱に引っ張られてしまうことがある。
でも、たぶん全員が同じ速度で走る必要はないんですよね。
というより、同じ速度で走ろうとした瞬間に、発信はかなりしんどくなる気がします。
Substackは、たぶん短距離走の場所ではありません。
もちろん、最初の勢いは必要です。でも、本当に大事なのは、そのあとです。
お祭りが落ち着いたあとに、どんな距離感でその場所に戻ってこられるか。
投稿しない日があってもいいし、Notesを見ない日があってもいい。Xに戻りたくなる日があっても、それだけでSubstackが向いていないと決めなくてもいいと思います。
一度離れて、また書きたくなったら戻ってくればいい。誰かの投稿を全部追えなくても、自分が本当に読みたいものだけ読めばいい。コメントできない日があっても、その人との繋がりがすぐに消えるわけではない。
たぶん、続く発信って、そういう余白を持っているものだと思います。
常に全力でいないと続かない場所は、どこかで息切れします。
逆に、少し休んでも戻ってこられる場所は強い。
僕は、Substackをそういう場所にした方がいい気がしています。
毎日叫び続ける場所ではなくて、書きたいことが出てきた時に、自分の温度で言葉を置いていく場所。
Xのように瞬間的な反応を取りに行くというより、もう少し長く残る言葉を置いていく場所。
noteほど検索を意識して構えなくてもいい。でも、Xみたいに一瞬で流れて終わる感じでもない。まだ僕も掴みきれていないけど、その中間にある場所なのかなと思っています。
だからこそ、最初の熱だけで判断しない方がいい。
最初に楽しかったから、ずっと楽しいとは限らない。逆に、今少し疲れているから、もう向いていないとも限らない。
たぶん今は、Substackが「新しい場所を見つけたぞ」と騒ぐ時間から、生活の中にどう置いていくかを考える時間に変わってきているんだと思います。
お祭りの時って、周りの動きがやたら大きく見えるんですよね。
誰かの数字が増えていたり、新しい繋がりが生まれていたり、自分も何かしなきゃいけないような気持ちになる。
でも、お祭りが終わると少し静かになる。
その静けさを、寂しいと感じる人もいると思います。熱が冷めたように感じる人もいると思います。
でも、その静けさの中で、ようやく自分の声が聞こえてくることもあるんですよね。
自分はここで何を書きたいのか。誰に届けたいのか。どのくらいのペースなら続けられるのか。Xやnoteとは違う形で、何を残していけるのか。
そういうことって、周りが騒がしい時には、意外と見えにくい。
たぶん、ここから残る人は少し減ると思います。
でも、それでいいのかもしれません。
最初の熱で集まった人が少しずつ自分の場所へ戻っていって、それでもまだここに何かを置きたい人が残っていく。
そこからが、本当のSubstackの使い方が見えてくる気がします。
僕もたぶん、全部を追うことはできません。
ずっと高いテンションでNotesにいることもできないし、毎回完璧な距離感で人と関わることもできない。
それでも、自分の言葉を置いておきたい場所として、Substackを使っていけたらいいなと思っています。
お祭りが終わったあとに残る静けさは、悪いものではない。
むしろ、そこからようやく始まるものもある。
そんな気がしています。



久我さん、こんばんは。
ミヤシタでございます。
お祭りの後って少し寂しくもあり、ほっとする気持ちもあり、あの高いテンションが段々と落ち着いて来る、そんな時間も必要なのだと思います。
私は、お祭りには参加しておらず、淡々と自分ペースで、主にNotesを綴っておりました、私は元々、長距離走選手で、ハーフマラソンも、フルマラソンも大会へ参加しているのですが、必要なのは自己を諫めること、ペース配分、身体意識、メンタルヘルスケア、レジリエンスなど医療とも共通する部分も多いです。
えーと、何が言いたいのか、ざっくり言うと、書き手もクリエイターも、ペース配分が必要だと、そんな感じです。
私は、5月からのsubstackは、文化祭だなと感じておりました。個々がさまざまな出店をし、人が集まりワイワイ騒ぐ。企画委員会みたいな人は、大規模な催しを仕掛ける、祭りでも、文化祭なのかな、と。
私は、今していることは、後夜祭なのかな?
文化祭で、出店をしていましたが、淡々と自分のペースで語り、ギアを上げずにいました。ようやく、身体が温まってきたのでぼちぼち、フルマラソンのペースへ入ろうとかなと、いま、Notesを投稿している途中です。
よろしければ、後夜祭、私の店舗(アトリエ)に、ふらふらっとおいで下さい。笑
特におもてなしは、出来ませんが、イラストと文章を置いております。
そろそろ、プロット制作、設定資料作りへ戻ります。
ではでは。
走りながら結果を出すことの難しさがわかりますね。