Substackで見えた17.5%は、読者ではなく歩き出す人だった
どうも、久我レイジです。
最近、少し気になる数字が出ました。
YouTubeに置いている僕の作品への流入率を見ていると、Substackが17.5%、noteが7.5%でした。もちろん、記事の内容や投稿したタイミングによって数字は変わりますし、YouTube内での流入や、他のSNSからの動きもあります。
だから、この結果だけを切り取って「Substackの方が絶対にいい」と言い切るつもりはありません。
ただ、同じように文章を書いている場所から、YouTubeに置いた作品まで動いてくれた人の割合に2倍以上の差が出たことは、かなり大きいなと思ったんです。
読んで終わる人ではなく、その先へ歩き出してくれた人がいた。
僕が今Substackで気になっているのは、まさにそこです。
だから最近、僕はSubstackをよく触っています。
別に「これからはSubstackの時代です」と言いたいわけではありません。そういう強い言い切りは、今の段階では少し早い気がしています。
僕が気になっているのは、もっと地味なことです。
人はどこで動くのか。
ここなんですよね。
今のSNSは、見られているようで、実はあまり読まれていないことが多いと感じています。
情報が多すぎるし、告知も多い。誰かの意見や宣伝やニュースが毎日のようにタイムラインへ流れてくるので、受け取る側も自然と流すのがうまくなっていく。
目には入っているけれど、ちゃんとは読んでいない。
これは僕自身も同じです。流れてくる投稿をすべて読むなんて、現実的にはもう無理があります。
だから最近は、「見られたかどうか」だけではなく、その先で本当に動いてくれたかを見るようになりました。
読者として読んで終わるのか、それとも作品の方へ一歩歩き出してくれるのか。
作品を観に来てくれたのか、記事を最後まで読んでくれたのか、別の場所まで足を運んでくれたのか。
創作を続けていると、結局そこが大事になります。
この感覚は、昔clusterに来た頃とも少し重なります。
当時のclusterは、多くの人にとって「よく分からない3D空間」だったと思います。僕はそこでイベントができること、演劇のような表現ができること、映像作品を作れることに可能性を感じていました。
でも、その感覚はなかなか周りには伝わりませんでした。
「面白そうですね」と言ってもらえることはあっても、実際に来る人は少なかったですし、一緒に何かを作ろうとする人は最初、本当に少なかったんです。
たぶん、僕には可能性に見えていたものが、他の人には面倒な場所に見えていた。
今のSubstackにも、少し似たものを感じています。
また新しいサービスを覚えるのか。本当に読まれるのか。noteで十分じゃないか。Xで告知すればいいんじゃないか。
そう感じる人がいるのは自然ですし、僕だって全部の新しい場所にすぐ飛び込めるわけではありません。面倒なものは面倒ですし、よく分からないものを後回しにする気持ちも、かなり分かります。
だから、人がすぐに動かないこと自体を悪いとは思っていません。
ただ、先に何かを感じてしまった側は、少しもどかしいんです。
ここ、何かある気がするんだけどな。
そう思ってしまう。
でも最近は、「良さを伝えれば人は動く」という考えも、少し違うのかもしれないと思っています。
人は正しさだけでは動きません。便利そうだから動くわけでもないし、将来性がありそうだからすぐ始めるわけでもない。
実際に誰かが使っている姿を見て、その場所に少し安心感が生まれて、自分でも試してみたい理由が育った時に、ようやく一歩を踏み出すのだと思います。
だから先に動いた人がやるべきことは、正しさを語ることではなく、景色を見せることなのかもしれません。
Substackでどれくらい読まれたのか。どんな反応があったのか。YouTubeに置いた作品への導線として、本当に機能しているのか。
うまくいったことだけではなく、迷ったことや使いにくかったことも含めて残していく。
僕が最近、数字を出しているのもそのためです。
17.5%という数字は、答えではありません。ただの途中経過です。来月には下がるかもしれないし、逆にもっと伸びるかもしれない。
だから、これで勝ち負けを決めたいわけではないんです。
ただ、今までとは違う動きが起きている。
そこだけは見逃したくないと思っています。
創作は、作品を作っただけでは届きません。
告知しても読まれなければ届かないし、読まれてもその先に動いてもらえなければ、作品までは辿り着かない。
今回の数字で僕が見ているのも、Substackの記事が読まれたかどうかだけではありません。
そこからメタバースドラマまで、人がちゃんと移動してくれたのか。
つまり、作品に出会うところまで進んでくれたのか、という部分です。
だから今は、作品そのものだけではなく、作品に出会ってもらうための道まで作らないといけないのだと思います。
noteには検索で残る強さがあります。Xには瞬間の熱を届ける速さがあります。
YouTubeには映像作品を置ける強さがあり、clusterには同じ空間に集まる体験があります。
その中でSubstackは、読者との距離を少し近くできる場所なのかもしれません。
どこかひとつが正解という話ではなく、自分の作品に合う道をいくつか持っておくことが大事なんだと思います。
だから僕は今、Substackを触っています。
正解だと分かったからではなく、気になっているからです。そして、その先に今までとは違う作品の届け方があるかもしれないと思っているからです。
たぶん今は、まだ少し早いのかもしれません。
でも僕は、早すぎる場所にしか見えない景色があることを、clusterで一度知ってしまいました。
だからもう少しだけ、この景色を見てみようと思っています。



